ミス・ユニバース世界大会で日本人として初優勝したのは児島明子さん!どんな経歴の持ち主?

世界的に有名なミスコン「ミス・ユニバース」

最近では加茂あこさんがグランプリを獲得して「ミス・ユニバース日本代表」となり話題になりました。

その「ミス・ユニバース世界大会」で日本人女性として初めて優勝したのが児島明子さんという人です。

日本人というだけでなく、アジア人としてもミス・ユニバース世界大会で優勝した初めての人物です。

児島明子さんとは一体どんな人なのでしょうか?

とても気になったので今回は「ミス・ユニバース世界大会で日本人として初優勝したのは児島明子さん!どんな経歴の持ち主?」ということを調べてみました。

関連記事:ミス・ユニバースの基準とは?加茂あこさんが日本代表で世界大会に出場!過去に優勝した日本人は誰?

児島明子さんのプロフィール

【名前】児島明子(こじま あきこ)
 
【生年月日1936年10月29日 
【生まれ】 東京市
【身長168 cm
【配偶者】 宝田明 (結婚期間1966年 – 1984年)
【現年齢82歳
【子供】 児島未散・他

児島明子さん日本のファッションモデル。モデル当時の身長は168cm、体重は54.5kg、スリーサイズは94-58-97cm

バスト94cmとヒップ97cmは現在におけるまでの歴代ミス・ユニバース・ジャパンの最大サイズだそうです。

当時の日本人としては抜群のプロポーションですね。

児島明子さんのモデルとしての経歴

ファッションモデルをしていた1958年(昭和33年)ミス・ユニバースとミス・ワールドの日本代表を同時に選ぶ大会に応募し、東京代表となります。

しかし日本代表を選ぶ直前の6月4日、都内で行われた各地代表のパレードの最中に、児島さんが乗っていた車が追突事故に巻き込まれてしまい児島さんを含む4人が負傷。

ミス・ユニバースの有力候補と見られていた児島明子さんでしたが、やむなく棄権します。

その後2か月の入院。翌年の地区予選を免除され、東京体育館で開かれる日本大会に出場出来ることになります。

1959年(昭和34年)6月12日「ミス・ユニバースジャパン」として優勝。

そして1959年7月24日にアメリカで開催された第8回ミス・ユニバース世界大会に出場します。

世界大会では最終審査でブラジル、イングランド、USA、ノルウェーを抑えてアジア人として、日本人として、初めて優勝しました。

ヨーロッパとアメリカ州以外の女性としては初めてのミス・ユニバース世界大会優勝者となります。

元旦那さん宝田明との馴れ初めは?

児島明子さんは以前、宝田明さんと結婚していました。

宝田明さんは今も現役で俳優をしており最近では『ダンスウィズミー』という映画にも出演されています。

東宝映画「ゴジラ」(1954年)の主演でブレークし、昭和30年代には東宝の二枚目トップスターとして活躍した「宝田明」さん。
そんな宝田さんが結婚したのは1966年4月29日…
32歳の誕生日のときでした。

相手は1959年のミス・ユニバース第8回大会で東洋人として初の優勝という快挙を成し遂げたモデルの「児島明子」さん(当時29歳)でした。

知り合ったのは児島さんが大阪でファッションモデルとして活動していた1954年頃…
しかし、当時は単なる知人で、本格的な交際が始まったのは1956年に児島さんが上京してからでした。

当時は児島さんはミス・ユニバースを獲得し、宝田さんも東宝のスターとして人気急上昇中…
スキャンダルを恐れて大っぴらに会うこともできない状態になり、話はなかなか進まなかったのです。

しかし、宝田さんが「彼女が好きだ。こんなボクについてきてくれるなら結婚する」と宣言すると、児島さんも「男のお友達の中では一番親しくしています」とコメント…
宝田さんの所属事務所も「明日(結婚)したいと言ってきても、東宝はそれに反対する理由はありません」と語るなど、熱愛情報は繰り返し芸能マスコミを賑わせたのです。

けれども、煮え切らない事態はその後も続き…
1961年には宝田さんに香港の女優、尤敏さんとの熱愛情報が流れ、児島さんも日本航空パイロットとの婚約を発表するなど波乱も起きました。
児島さんの婚約はすぐに破談となったのですが、依然として2人の関係は進展が見られなかったのです。

長すぎる春に終止符が打たれたのは交際が始まってから10年もの月日が経った1966年4月でした。
翌年には長女(児島未散さん)が誕生し、続いて長男・次男が生まれ、2人は芸能界でも指折りのおしどり夫婦と呼ばれるようになったのです。

しかし、結婚10年目を迎えた1975年、宝田さんに不倫疑惑が持ち上がりました。
相手はミュージカル共演で知り合い、その後、自分の事務所に移籍させた16歳下の女性です。

愛人の存在を指摘された宝田さんは「社長と所属タレント」と疑惑を否定しましたが、「役者は浮気心がなければ、色気のある良い演技はできない」、「女房に着物一枚買ってやったことがない」、「ウチのヤツは、俺と結婚して失敗したと思ってるんじゃないですか」と微妙な発言も出ていました。

その後、女性は芸能活動を停止…
宝田さんが1980年に開校したミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」で事務を担当し、さらに宝田さんの私設秘書になりました。
もっとも、1983年5月に学園は倒産しています。

同時期に児島さんが子どもを連れて家を出たという報道が流れました。
離婚の噂に対して宝田さんは「今何も言いたくないよ」、「書きたければ離婚と書いたっていいよ」と言葉を濁しましたが、その後も関係は修復できなかったのです。

1983年秋には秘書女性が宝田さんの自宅に移ったという報道も流れ、弁護士を介して養育費や財産分与など離婚に向けての協議も始まりました。
結局、1984年1月に離婚が成立…
同年9月、宝田さんは「きちんとしたい」と秘書女性と入籍し、会見で「彼女ともう一度やり直そうと思いました」と語りました。

宝田さんはその後も、映画「大仏廻国 The Great Buddha Arrival」(2018年)やスペシャルドラマ「経世済民の男」(2015年)などに出演し、第一線で活躍を続けています。

引用元:https://gossip-history.com/g00760/

娘さんは歌手の児島未散

宝田明さんと児島明子さんの娘が歌手の『児島未散』さんです。

調べてみてびっくりしました。芸能一家だったんですね。

児島未散さんの最大のヒット曲は1990年に発売された7thシングル『ジプシー』です。

若い人は知らないでしょうが、世代の人にはとても懐かしいですね♪

浅野温子さんが出演するシャンプー『プレーン&リッチ』のCMソングに起用され、36万枚を売り上げたそうです。

更に1995年、TBS系テレビドラマ『3年B組金八先生』の英語教師・岩崎恵役で女優としても出演。

1998年の『3年B組金八先生』スペシャル9にて金八の息子「坂本幸作」の担任を演じたのを最後にアメリカに移住します。

2016年よりライブ活動を再開し、ツイッターとInstagramも始めています。

まとめ

いかがだったでしょうか?

今回は「ミス・ユニバース世界大会」で日本人として初めて優勝をした児島明子さんをご紹介しました。

調べてみると旦那さんやお子さんのことなど、知らなかったことがたくさんあり驚きでした。

今もご健在のようで「ミス・ユニバース」のニュースを見て昔を思い出しているかもしれないですね。

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