スッキリで7月9日から3日間に渡って『不妊治療と家族のかたち』として不妊治療についての特集が放送されています。
今日は最終日となる3日目『不妊治療のその後・妻たちの選択と伝えたい事』というテーマで放送していました。
今回は不妊治療に区切りをつけたキャスターの陣内貴美子さん(55)、タレントの武内由紀子さん(46)を取材をしていました。
不妊治療をしている人が最も悩むのが『やめどき』ではないでしょうか?
陣内貴美子さん、武内由紀子さんが不妊治療のその後に選択した人生と経験者だからこそわかる伝えたい事を赤裸々にお話しされていたのでまとめてみました。
1日目はこちら→不妊治療と家族のかたち
2日目はこちら→男性不妊の原因は?
夫婦2人の生活を選んだ陣内貴美子さんの場合
news everyでキャスターをしている陣内貴美子さん(55)は10年前まで不妊治療に取り組んでいました。
陣内さんは1992年バルセロナ五輪のバトミントン日本代表として活躍。
そして2001年、陣内さんが37歳の時に元プロ野球選手の金石昭人さんと結婚します。
お互いを「父ちゃん」・「母ちゃん」と呼び、子供のいるにぎやかな家庭を思い描いていたそうです。
結婚=すぐ子供が出来ると2人とも思っていたので、できれば双子がいいとか男の子と女の子一緒に生まれるといいなと軽く考えていた。
けれどもなかなか妊娠せず基本的な不妊治療を開始したのが陣内さん39歳の時。
タイミング療法を試すも妊娠はしなかった。そして不妊治療開始から3年がたった頃、医師から内膜症があるので手術したほうがいいと言われ検査をすると卵管がねじれていたことが判明します。
(スッキリより引用)
自然妊娠は難しいとわかり主治医のすすめで不妊治療の専門病院に。
このとき陣内さんは42歳。人工授精、体外受精、顕微授精と順を追って不妊治療を進めるも妊娠しなかった。
陣内さんが不妊治療をしていた10年前は今ほど不妊治療が一般的ではなかったため、本当に近しいごく一部の人にしか治療のことは言っていなかったそうです。
そのため食事にいったりすると周りに「何やってんだよ。早く子供作れよ」と言われて傷ついた事も。
そんな時ご主人は「こんなことしてる場合じゃない。早く帰ろう」と言ってくれ帰りの車の中で泣く…ということが何度もあったそうです。
治療中に生理がきた時の落ち込みも凄かったけど、仕事はしなきゃいけないし笑ってなきゃいけない、それが辛かった。針で採卵する痛みも子供が出来ると思っているから痛くはなかった。精神的な辛さの方が大きかった…と陣内さんは言っていました。
そのたびに苦しみや悲しみを夫婦2人の胸にしまい込んできたそうです。
子供に関しては頑張っても頑張っても結果が出ない。いつまで続けるべきなのか?どこまで頑張ればいいのか?やめ時がわからない…と陣内さんは精神的に追い詰められていきました。
不妊治療をやめたきっかけ
先の見えない不妊治療に追い詰められていく陣内さんを救ってくれたのがご主人の言葉でした。
「もうやめようか。これが最後にしよう。もう45歳だし、これだったら母ちゃんの体の方が心配だから。これはもう2人で生きていけってことなんだ」
そして45歳の誕生日を迎える時に不妊治療をやめようと決めます。
体の負担も考え最後の治療を半年後の12月に開始。陣内さんの手帳にはその時の気持ちが綴ってありました。最後の治療で受精できて嬉しかったこと、その15日後に結局妊娠していないとわかったこと。
結局妊娠はできず「申し訳ない…違う人だったら子供が産めたんじゃないか、旦那に子供が出来たんじゃないか」と思ったそうです。
ご主人にその話をすると「いらーん」と言われるらしいです。優しいご主人なんでしょうね。
不妊治療をやめた後
陣内さんは不妊治療をやめて10年たちますが、今でも子供が欲しかった思いがふとした瞬間に顔を出すと言っていました。
「親戚の子供がいっぱいいて自分たちの子供と同じだと考えて接している、成長を楽しみにしているけど、実際に自分たちの子供じゃないからわかっていても寂しいときがある。父の日や母の日、(自分の)子供みたいな子はいるけど実際は子供じゃない。自分たちはそういうの(親)じゃない」
そして父の日に友人の子供からもらったプレゼントの箱に書かれたメッセージを旦那さんが大切に切り抜いてるのを偶然見た時に「やっぱり自分の子供ってほしいのかなって。でもこれって何回も何回も通る道だから、永遠に(子供が欲しい気持ちは)消えないんだろうな」と思ったそうです。
不妊治療の経験者だから言えること
子供が欲しい欲しくないにかかわらず病院に行っておくっていうのは一番大事だと思う。子供を作ろうと思って出来ないから不妊治療をするっていうのは凄くスタートが遅くなる。
不妊治療に区切りがつかず悩んでいる人には
本当に子供がほしいのはなぜなのか?なぜここまで欲しいのか?を夫婦で話し合う。
だんだんわからなくなってくる、これだけ(治療に)お金をかけたから欲しいとか。
2人で生活してても幸せだって思う事もあるし二人でよく話し合うのが1番かもしれないですね
特別養子縁組を選んだ武内由紀子さんの場合
タレントで女優の武内由紀子さんは大阪パフォーマンスドールのメンバーとしてデビュー。
1995年に今田耕司さん、東野幸治さんと一緒に『SO.YA.NA 』を歌っていた女性です。
武内さんは40歳の時にパン屋さんを営むご主人と結婚。年齢のこともあり、すぐに不妊治療を始める。
治療をすればすぐに子供が出来ると思っていたが授かることはなく、検査をしても「不妊の原因は何もない。考えられるとしたら武内さんが高齢なこと」と言われた。
武内さんは不妊治療をした4年間に採卵20回、受精卵を子宮に戻すのを8回、うち着床3回を経験しました。着床してもそこで止まってしまって、精神的にとても辛かったそうです。
44歳の時に「これ以上続けても結果は同じなんだろうな」と思い不妊治療をやめようと決意。
そして最後と決めた不妊治療で良い状態の受精卵ができ、この1個にかけようと強く思っていました。
しかし検査の日に医師から告げられたのは「着床していませんでした」という言葉。
その時に「本当に悔いなし。やり切った!と思って自分でもびっくりするくらい諦めがついた」と武内さんは語っていました。
最後の会計をまっている間になぜかわからないけど携帯で特別養子縁組の事を調べていたそうです。
心のどこかでまだ諦められなかったのかもしれない…とそれから特別養子縁組のことをずっと調べ始めます。
特別養子縁組とは
実の親子関係を解消して養親と呼ばれる夫婦と法的に実の親子関係を結ぶ制度
(スッキリより引用)
【親の年齢制限】団体によって異なるが親の年齢制限がある。45歳までのところが多い。親が経済的、体力的に育てられるかが基準となる。
【費用の負担】民間団体だと研修費、登録料、相手の出産費用などを養親が負担する。団体によって金額は違うが約30万~170万円ほど費用の負担がかかる。
【養子の名前】養子の名前を誰がつけるのかは団体によって異なる。
【真実告知】義務ではないけれど産みの親の事を伝えなければいけない。団体によりますが早い時期に子供へ養子である事実を伝えるようにすすめている。それは他人からの意図せぬ告知で子供が傷つかないようにするのを防ぐため。
そして、赤ちゃんがくるまでは待機でいつ連絡がくるかはわからない。
面接を通過して研修をしても養子を諦める人も多いそうです。
それは基本的に子供を選べないからで男女、病気がある・なしも選べない。
武内さんは自分が生むのと同じ状況だと思ってくださいと言われたそうです。紹介された子供を断ることは可能ということです。
(スッキリより引用)
特別養子縁組をしようと決めたとき武内さんは44歳。
団体は年齢制限45歳までのところが多く、武内さんの44歳というギリギリの年齢で申し込み出来たのは2団体のみでした。
面接では「なぜ養子縁組をしようと思ったのか?自分たちがどういう家庭環境で育ったのか?」などを聞かれたそうです。
そして半年間の研修後に本登録。本登録から半年後に「生まれたよ!」と団体から電話がかかってきました。
そこから1週間くらいで家族3人の生活が始まったそうです。
武内さんは2018年6月に長男を特別養子縁組で迎えたと公表しています。
それは養子縁組の情報が少なすぎて困った。養子の子を育てるというのがどういうことかもわからないし、自分が公表することによって普通なんだと伝わればいいなと思ったから。
武内さんが母親になり1年。
「血の繋がりがないから将来大丈夫かなとか、うまくいかないんじゃないかという不安は大きかった。でも1ミリも不安に思わないくらい日常になるし親子関係が築けるので、何の心配もなく一歩踏み出したら幸せな人生が待ってますと言いたい」
と最後に笑顔で語っていました。
まとめ
2人の生活を選んだ陣内貴美子さん夫婦、特別養子縁組を選択した武内由紀子さん夫婦。
家族のかたちは色々あるんだなと改めて思いました。
特に陣内さんは何度も涙を流しながらこれまでの思いを語ってくれて、その気持ちが痛いほどわかりました。
今回の特集で不妊治療や妊娠、子供について考えるきっかけになれば嬉しいです。